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シューベルト:交響曲 第7番「未完成」

シューベルトといえば歌曲である。
という書き出しの曲紹介もあんまりだが、やっぱりシューベルトといえば、歌曲なのである。
実際、彼の歌曲には有名な曲が多い。
ちなみに、シューベルトはかの有名なベートーヴェンと活躍した時期が重なっており、しかもお互い相反するジャンルで活躍したため、シューベルトベートーヴェンの補完的役割を果たしたという評価もある。

それはさておき、そんな彼も、晩年(といっても31歳で亡くなっているので、まだ若いのだが)には大きな曲でも成功をおさめている。
その中の一つが、この未完成交響曲である。

それにしても「未完成」とは、なんという呼び名であろうか。
むしろ、初めてお聞きになった方は「え、これのどこが未完成なの?」と思われるのではないだろうか。
きちんと完結した曲になっているのであるから、そう思われるのもしごく当然なのだ。
そこで筆者の独断ではあるが、この未完成交響曲は(形式は変だとしても)一つの完成された交響曲である、としたい。
2楽章までしかないから、という理由で未完成呼ばわりされているのならば、他にも未完成と呼ばれなければならない交響曲はたくさんあるはずだ。

さて、ではなぜ「未完成」と呼ばれるのだろうか。

答えを言ってしまうならば、書きかけの3楽章が見つかっているからである(もちろん、専門家に言わせれば、もっとややこしい理由もあるだろうが)。
しかしこの3楽章、決して続きを書くことができなかったわけではない。
なぜなら、この後、シューベルト交響曲第8番「ザ・グレイト」を完成させている。
よって、時間的問題ではないようだ。それでは、どうしてシューベルトは続きを書かなかったのか。

実はこれがはっきりしていないのだ。
ただひとつ言えることは、書きかけの3楽章、どう見ても前の2楽章と釣り合いがとれる程には、いい曲ではないのである。
これが「未完成」断筆の原因なのだろうか。

ここで一つ、突飛ではあるが仮説をたててみよう。
シューベルトは結構いいかげんな性格だったのではないだろうか、と。
しばらく前まで、この「未完成」は交響曲第8番と呼ばれていた(もちろん8番でも呼び名は「未完成」)。
これは、シューベルトが自分の作った楽曲をちっとも整理していなかった(少なくとも学者たちが望むようには)ことに起因している。
つまり、書きかけの曲があったり、書かれた順番がはっきりしない曲ばかりだったりしたのだ。
納得のいかない曲は途中でほっぽり出す癖が、彼にはあったかも知れない。
「ゴミはきちんと捨てておいてくれれば」と、学者たちは思ったに違いない。

さて、こんなシューベルト氏、書き続ける気のない3楽章を、ほったらかしにしたとしても不思議はあるまい。
ということは、もしも仮に、シューベルトブラームスのように整理魔ならば(ブラームスはとびっきりの整理魔だった)、この曲は「未完成」などという不名誉な呼ばれ方をすることは無かったのである、多分。
皆さんも、ゴミはきちんと捨てましょう。

第1楽章

名前だけは有名な「ソナタ形式」というやつで書かれている。
ソナタ形式」とは、力強い第1主題と少し嫋やかな第2主題が、登場し(提示部)、からみ合い(展開部)、安定する(再現部)という3部形式で書かれている曲のことである。

では何処がそれなのかというと、第1主題は冒頭、初めて登場する木管楽器が奏でるフレーズである。
そして第2主題は、第1主題の木管楽器によるフレーズが発展していって、盛り上がった直後にあらわれるチェロによるメロディーがそれである。
この2つのフレーズを覚えておくと、後になかなか面白い展開を遂げていくさまを、手にとるように楽しんでいただけるだろう(と思う)。

実はこの楽章(に限らず)、同じメロディーをひたすら繰り返し、転調しては繰り返し、手を変え品を変え、という造りをしているのである。
極端に言ってしまえば、それが「ソナタ形式」なのだが。

なお、この文章を書いている時点では未定だが、ひょっとすると曲が始まって3分ぐらいのところで、静かな弦楽器全合奏のピチカートの後に、一番最初に戻る繰り返しが入るかも知れない。
弦楽器のピチカート(弓を使わずに、弦を指先で弾く奏法)がもし5回しかなければ、それは繰り返した合図である。
逆に、ピチカートが9回あれば、繰り返さずに先に進んだということであるから、注意してもらいたい。
その上で、繰り返したと分かれば、もう一度第1主題と第2主題をじっくりと聞いておいてほしい。
そして、9回のピチカートの先こそが、ソナタ形式の展開部であり、さらにその約3分後、弦楽器の鳴動するような装飾音符の山のその先こそが、再現部なのである。

第2楽章

優雅ながら緊張感と緊迫感にあふれる第1楽章とはうって変わって、穏やかに流れる川のごとく始まる。
まるで1番、2番と同じフレーズを繰り返す歌のごとく、同じメロディーをひたすら繰り返しているこの楽章は、別名「ヒツジの数え歌」と呼ばれ、不眠症の治療にも使われている。

というのはあくまで冗談だが、そう呼びたくなる程に、睡魔を呼ぶ曲であることは事実なのである。
きっと「未完成」2楽章が上手に演奏されれば、皆さんはてきめん眠ってしまわれるだろう。
だが、素人集団のオーケストラとしては、お客さんに眠ってしまわれるとちょっぴり寂しいので、少しだけウトウト、としてしまうような演奏ができるように、日々努力を重ねているのである。

再録時注)真偽の程は定かではないが、後日どこかでシューベルトは健忘症だったとする文章を呼んだ。
だとすれば、この文章はあたらずといえども遠からずだったわけだ。