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酒と旅行と音楽と、そのほかサッカー、映画に、あれやこれや♪(´ε` )好きなものをひたすら語ります。

ある曲にまつわる場外編 〜ボレロ

メトロノームという道具をご存じでしょうか。
音楽に携わったことのある方なら大抵ご存じだとは思いますが、楽器を練習するときに、一定のテンポをキープするために用いる道具です。
振り子を用いてカチカチ音を鳴らす昔ながらの物もあれば、最近だと電子式の物もあるのですが、すべからくメトロノームという物には40〜208くらいの任意の数字を選択できる機能が搭載されています。
この数字が小さいほどテンポが遅い曲ということになるのですが、では一体この数字は具体的に何を意味しているかといいますと、これが1分間に演奏される音符の数を示しているのです。
ただし、音符ならば何でもいいというわけではありません。

ここで重要になってくるのが、「4分の4拍子」、「2分の2拍子」などの「拍子」と呼ばれる物です。
そもそも、「4分の4拍子」というのは4分音符が1小節に4つ入るという意味です。
同様に「4分の2拍子」ならば4分音符が1小節に2つ。
「2分の3拍子」なら2分音符が1小節に3つです。
「4分の4」、「2分の2」と呼んでいるからといって、算数の分数と同じではありませんから、「3分の3拍子」なんて物はないわけです。
理由は、3分音符なんて物が存在しないからであります。
ちなみに、2分音符は4分音符2つ分ですから、「4分の4拍子」と「2分の2拍子」は計算の上だけでみると同じ物です。

さて、ここにたとえばメトロノームの速度60と指示された「4分の3拍子」の曲があるとしますと、メトロノームで指示される1分間に演奏される音符の数は、『4分音符が60個分』ということになります。
つまり、メトロノームが指す数は、その曲で基本となる長さの音符が1分間にいくつ演奏されるか、ということを表しているわけです。
では、1分間に何小節演奏されることになるでしょうか。
ちょっと計算してみて下さい。

いかがですか?
答えはそう、20小節です。
なぜならば、1分間に演奏される4分音符の数は60個。
1小節あたり4分音符は3つですから、60÷3で、20小節ということになります。
次に、この曲が340小節でできていたとしますと演奏時間はどうなるでしょうか。
これまた単純な算数ですね。
先ほど計算したように、20小節演奏するのに1分かかるわけですから、340小節演奏するには17分の時間が必要になります。

モーリス・ラヴェルというフランス人の作曲家がいます。
スイス人で土木技師の父と、スペイン・バスク人の母の間に生まれた彼は、本人いわく、「極めて中庸を得た、常に一様な速さの舞曲」を作曲しました。
かの有名な『ボレロ』です。
彼はこの曲について「旋律、和声、リズムのどれをとっても常に変わることがない」と表現しています。
実際、彼のいう通り、『ボレロ』には最初の「モデラート・アッサイ」という指示以外、曲の速さを変化させるような指示は一切出てきませんし、リズムにしても最初の2小節間で小太鼓が演奏するリズムは、曲の最後まで変化することがありません。
なお、「モデラート・アッサイ」とは「とても中くらいの速さで」という意味です。
これでは人によってとらえ方がちがうかも知れませんので、「4分音符を72の速度で」という指示も一緒に書いてあります。
このテンポで「4分の3拍子」の『ボレロ』を演奏すれば、1分間に24小節演奏できることになりますね。

さて、ここで『ボレロ』について説明させていただくことにします。
当時、前衛的な舞踏家でルビンシュタイン夫人という人がいました。
この人が、バレエ団を持っていまして、バレエ団で上演する新曲がほしいなと考えていました。
そこで、ラヴェルに「スペイン風の舞曲をひとつ書いて下さい」とお願いします。
当初は他の作曲家による既存の曲を編曲しなおすことで話がついていたのですが、色々な権利の都合上、ラヴェルは自分で新しい曲を作ることを決意しました。
こうして、スペイン・アラビア風の主題を持つ『ボレロ』が誕生しました。
なお、『ボレロ』とは中くらいの速度で「4分の3拍子」のスペインの民族舞踏のことです。
踊り手はカスタネットなどでリズムをきざみながら踊るそうです。

バレエ曲ですから当然筋書きがあります。
それではここで筋書きを紹介しましょう。
舞台はスペインの小さな酒場です。
若い女性がテーブルの上で物憂げなボレロを踊り始めます。
始めは1人でひっそりと踊っているのですが、だんだんと盛り上がってきて、周りの人々もその踊りについつい引き込まれていきます。
やがて、一人、また一人と女性の踊りに参加し始め、ついには最後の一人も踊りに参加し、酒場は熱狂の渦に包み込まれる、というものです。
これとは別に、砂漠の遠くの方からラクダのキャラバンが次第に近づいてくる、といった筋書きも耳にしたことがあるのですが、作曲者の意図としては酒場の踊りが本当だそうです。

この曲の初演について、こんなエピソードが残っています。
作曲家のシュミットが、延々と同じメロディーが続く斬新な造りに混乱し、ロビーに出てこう言ったそうです。
「出てきたわけではありません。ただ、転調するのを待っているだけです」また、巨匠トスカニーニのパリでの演奏会に出席したラヴェルは、トスカニーニのテンポがあまりにも速く、おまけにだんだんと加速してしまったことにずいぶんと憤慨したそうです。
ラヴェル自身は、この曲の演奏には17分かけることを望んだといいます。
賢明なる読者の皆さんならば、1分間に24小節演奏できるボレロで、17分かけて演奏するということは、この曲が408小節あることがすでにお分かりでしょう。

ところが、実際にはこの『ボレロ』には340小節しかありません。
おや、「4分の3拍子」で340小節とは、どこかで見たような数字ではありませんか。
そうです。
冒頭に計算していただいた通り、「4分の3拍子」340小節の曲を17分で演奏するためにはテンポの指示は「4分音符が60」でなくてはならないのです。
この矛盾は一体何を意味しているのでしょうか。

筆者が考えますに、この『ボレロ』に指示されている「4分音符72」という表示は、あとから誰かが書き加えたものなのではないでしょうか。
私がこの文章を書くために用いたスコアは音楽の友社が出版しているミニチュア・スコアの第1刷です。
他のスコアを確認したわけではありませんから、ひょっとしたら、他の出版社のものにはこの表示がないかも知れません。
もしなければ、この説は正しかったことになります。
逆に、他の出版社にもこの表示があれば、説の真偽を確かめることはできませんが、それにしても、自分で17分と言っておきながら、それより遥かに速いテンポを指示するとは、考えにくいことだと思いませんか?

実はこういった、作曲者の意図に反する変更というのは、それが故意にしろミスにしろ、昔はけっこう行われていたそうです。
今にくらべて、作曲者の権利というものがあまり高く評価されていなかったためだと思われます。
したがって、演奏者はよくよく注意して楽譜を見る必要があります。
本当に印刷されているこの指示は正しいのか。
本当にここの音はこれであっているのか。
そういったことにも、気を使いながら演奏しなければなりません。

演奏者といえば、この『ボレロ』で一番仕事をする演奏者は小太鼓奏者です。
2小節単位のリズムを340小節間、ずっと演奏するわけですから大変です。
試しに、音符の数を数えてみることにしました。
もっとも、数えるといっても2小節単位でずっと同じことをしていますので、2小節のなかの音符を数えて、それをかけ算することにします。
最後の2小節だけはリズムが変わりますので、169回同じことをやるわけですね。ご苦労さまです。

さて、結果は、2小節で24個×169回+最後の2小節間の8個で、合計4064発、小太鼓を叩いているという結果が出ました。
ちなみに、小太鼓奏者は2人いて、もう一人は途中から参加するのですが、こちらは50小節しか出番がありません。
一番楽ちんなパートはどこかと探してみますと、銅鑼とシンバルが、ともに5発ずつしか演奏しないことが分かりました。
次は大太鼓で6発です。
おなじ打楽器奏者にこれだけの差が出てくると、いったいお給料はどうなっているのだろうかとか、興味が尽きない所ですね。